「蛍火や 一夜が城の 夢の跡」 一夜城内にある夜城師の句碑 |
熊谷夜城は満福寺第25世住職祐綱の号である。芭蕉門下、各務支考・以哉派第25世の道統を継承した。 回夢園、狂骨子、夏炉冬扇とも名乗り、風雅を楽しむ墨俣炉扇吟社を興した。濃尾震災、中本山解体の時代の波の試練を受けながらも、念仏俳人としての気風は崩さなかった。「発心の 種やぱらりと 草の露」をはじめお檀家、近在の記念碑等にも多くの筆の跡があり、筆もなめらか豪放磊落であり、漢詩も嗜んだ。今も懐かしみ尋ねる人が多い。当院・お檀家さん所有の作品等、順次紹介していく。多々散逸しているようなので、この機会を捉えて皆様のご協力も得たい。明治43(1910)年8月15日没す。岐阜の加納の天神さんにも、夜城さん揮毫の碑文がある。 |
「涼しさや こころ一つの 置き処」 満福寺境内句碑 |