満福寺の先祖・蓮生房(れんせいぼう)ってどんな人? |
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「一の谷軍記」「平家物語」で語られる、幼い平敦盛の首をはね、熊谷陣屋などの歌舞伎でも上演されている、熊谷次郎直実が当院の先祖その人である。 ある時お檀家の好々爺が「あんたの寺の先祖は人殺しや。悪いやっちゃ」と、言われた時には、きついとこに生まれてしまったな。弁解の仕様もないしと、子供ながらに落ち込んでしまった。大谷大学時代には日本史の主任教授だった藤島達郎先生から「熊谷次郎直実はおっちょこちぃなんだよ」とまでだめ押しされて滅入ってしまった覚えがある。 直実さんは、主君の頼朝に、戦の勲功を誉められると思いきや、要領のいい叔父の久下直光氏に所領を騙し取られ、実はこのことが原因で出家したと言われてはいるが、人の良さを見せている。出家して蓮生房と名告るや、低下愚劣の自覚に救済が賜る浄土往生の教えに対し、最高の上品上生の往生を遂げたいと願ったりもした。また昔の高僧方がそうであったように自分の臨終日を予告し9月14日に亡くなった。 とても人間的妙味のある人と感じ、親しみさえ湧いてくる。『御伝鈔』で有名な「信不退行不退」の件では、「熊谷次郎直実遅参して申して云く」と、声を荒げ物怖じなく、どかっと、人数は少なくも親鸞上人と同座し、法然上人も信の座なりと同座されたことには、何の何の正鵠をうる機微も鋭かった。 |
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熊谷蓮生房倒騎の図 |
気品はあるが、おっちょこちょいかな? 26世玄成師、ご先祖に負けじと・・・ (戦後20年代 故川瀬英吉氏所蔵) |
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