満福寺は寛和の頃(986年)天台宗の伽藍として創建されたが、熊谷蓮生房の猶子、小太郎直照・祐照法師が浄土真宗の宗祖親鸞聖人に帰依してより、嘉禎元年(1235年)葉栗郡門間の庄足近に金足山・満福寺と号した。 13代祐鎮法橋は信長との長島合戦に戦死している。天正の頃(1573年)、14代祐恵は寺地を墨俣に移し、豊臣秀吉より330石の采邑を賜ったと伝えられている。
後、故あって稲葉内匠頭道成が葉栗郡福島村に移したが、祐恵再び寺地を現在の地に定めたという。往古は、中本山として世人美濃3ヶ寺の1宇・墨俣御坊と親しんだ。 昭和40(1965)年頃までは、5月15日より8月15日まで、100ヶ日間連日「夏(げ)の文(ふみ)」説教が勤まり、本堂も満堂となることがしばしばであった。最終日には法宝物の虫干し供養があり、この日ばかりは参詣者は内陣にもあがり、「二尊連座」「熊谷連生房木像」の御絵解きに聞き入った。・・懐かしがってばかりはいられません!
交通のご案内
・名神羽島インターより車で12分 ・新幹線羽島駅より車で10分 ・ JR穂積駅より車で10分 ・岐阜バス JR岐阜駅より20分 JR大垣駅より15分 いずれも墨俣バス停より徒歩5分