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住職の遺言板
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☆糖尿病

 病気が発現してから14年になります。足が痺れて痛くてしょうがなかったんですが、お酒が大好きだったものですから、えらい病気になってしまったなと、諦めながら落ち込みながら日々を送ってました。自分の病名が判らないことに不安といつかは治るかしらの望みとが行きつ戻りつしながら。そんなある日、車を運転してたら、突然目がぼやけてきました。信号は見えない、景色は薄暗く赤く見える。お通夜に行ってても自分の存在自体が「あわれというも愚かなり」(「白骨のお文」)そのものでした。早速眼医者さんに駈けつけると、「これは疲れ目ではない」「うちではできないから、市民病院を紹介しますから、眼をレ−ザーで焼いてもらう治療を受けて下さい。」奈落の底、自暴自棄、寂しい、家族にはあたるは・・・
1グラムたりとも誤差のない食事療法、慌てふためいての運動療法、いつ家中(というより私の振る舞が)ひっくり返るかもしれないぴりぴりした日常。子供は4歳の長男と2歳の次男を抱えてのアパート暮らし。・・・・と、いろいろありますが現在
  血糖値 178(平均高値安定 140前後が私には最適のよう)120(6.29) 
  ヘモグロビンAic7.2 →大危険8.6(6.29)
  体重ビックリ56キログラム 2004.1.30(危険水域)
 あまり良好ではないが元気もある。毎日が遺言の生き方ができればと半力投球中!
(注 運動療法は合併症がでている人は、主治医と相談すること。足が悪いのに走って転んでもいけないし、運動をせねばと、さりとて見ずらいのに自転車をこいでぶつかってもいけない。スローライフ!)

 糖尿は医学用語でメリテスといいます。こちらの方が感じいいですよね。
 いろんなご病気の方、糖尿の方、病気の悩み、おつきあいの仕方、それぞれあると思いますが、良い力に替えていけるよう、いろいろお話ししましょう。メールでお便り下さい。随時このコーナーで語り合いましょう。

 E-mail: jshock@manpukuji.com
合併症?女性化乳房!

もう既に、私めは2つの合併症が同居しててくれます。手足の痺れは、手はこわばるくらいだけに和らぎ、足の痺れも、麻痺してるというのか、ただ歩行や、立っている時には持続性が不安です。大地に足をつけた感じが半分くらいしか伝わってこない。お墓参りなんぞで立っていると、ふわふわしだしたり、講演で終わると足が固まってしまったり、と。でも初期に比べれば良くはなったんでしょう。ただお目々の方はどうも見づらくて、なんとか運転できるものの、遠近と夜は苦手。
夜は車には乗りません
 ところがこの1月、ふと乳首に手を当てたら、左に1センチ大のしこりがあるじゃないですか。ジトーット冷や汗が出てきました。でも妙に開き直って、即座にG大学乳腺科へ駆け込みました。病気慣れしたというか、病院づきあいが良いというか、ちょっと臆面しながらもドクターの前に座りました。男性は私独りだけでした。エコーもとり、レントゲンも撮って、触診をし、結果「薬の後遺症でしょ」と。「様子を診ましょう」と。診断は「女性化乳房症」。でもどの薬がイケナイとも教えてもらえないし、不安のまま帰宅。                                                            
 これではと思い近くの皮膚科へ「G大で、OKなんですから、どうしてもといわれれば組織検査しても良いですが」との返答。                                                                      
 いつものM大へ、糖尿の先生に話すと「熊谷さん、これだこれだ「カルスロット」(13年服用)ここに(薬辞典)書いてあるよ。と。薬を替えること「プロブレス」に。(血圧の薬)                                           
 そして胸部外科でも診察を。「男性でも100人に一人はありますが、多分薬の副作用でしょ。大丈夫ですよ」と、言われてもしこりはだんだんと大きくなるばかり。「ちょうど今男性の乳ガン手術してますが、あなたは大丈夫ですよ」と、慰めのお墨付き。その後は親戚の医者に葬儀の控え室で触診、檀家さんのドクターにもホテルの法事控え室で触診。大丈夫と、言われてもだんだんと、大きくなってきて、円形幅2,1センチ、厚さ3ミリ程。                           
インターネットで「女性化乳房」検索すると薬の後遺症で、カルスロットが記されていて、ホット。
3月、にG大へ。4月にほんのり小さくなって(といっても2センチ)、大きくなってたら今日は刺そうかなと思ってましたがといわれたりして、複雑な気持ちで、失礼。
そして今は1,2セント程のしこりに縮まった。8月の検診までには、ちょっと峠を通り越したかな?と、自己安心。
お医者さんがいつも「では、次は来月に」とか、「次回に手術かどうか診ましょうとか」といわれるとどうも迷ってしまいます。
途中で悪化したり、ひどい場合はなくなったり、事実、私なんぞ、何度眼の悪化を訴えても、大丈夫を繰り返されて、他の病院を訪ねたも時は既にに遅し。先生のところに戻るや「良く発見できましたね」でちょん。
ドクターも忙しいとは思うが、そのあとは2週間入院の予定が3ヶ月に。いろんなことあろます。
お陰様でまだ生きてます。有り難いことです。(2005年6月21日記す)

突発性難聴
これも10年程になります。耳鳴りがどんどんするわ、蝉の音が反対方向から聞こえてくるわ、イライラすること、極まりなく、耳鼻科へ行くと「あっ手遅れです。1週間以内に来れば薬で治る可能性もあるが、耳の癌の可能性が20人に一人ありますから、検査しますか」と、何とも言えぬ教授殿のお言葉。
ムセッとして、他の市民病院へ行くも、優しく同じ症状を告げられた。なんとか気分はすっきりしたものの、権威者名医ならず、を思い知らされた。右の高い音が聞きづらく、慣れるのに3年程かかった。
 よく耳の悪い人が、にこりとされるが、理解したと言うことでなく、笑顔で人間関係を保とうとする、偉大な努力であることを知った。今では疲れのバロメーターが耳鳴りの高低となり、聞こえなくてもにこっと笑ってしまう術も得た。それにしてもその時の糖尿の先生曰く「熊谷さん、癌でなくて良かったですね。内の病院はやりたいのがいっぱいいますからね・・・ 」唖然。
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