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いのちを語る(法話)
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いのちの言葉「 彼岸花 」

彼岸花

つきぬけて 天上の紺 曼珠沙華(山口誓子)


  13年前、私は糖尿病を発現しました。何とか3大合併症の、人工透析は免れながらも、眼底出血と手足の痺れ痛みで入退院を繰り返し、心も体もぼろぼろになって、彼岸花の咲きかける頃退院しました。

 病歴の深い方ならばさほどのことと思われるかもしれませんが、病院のドアをノックする勇気もなかった私には、すべてがショックでした。というより上を向いて歩いていた自分が、下を向いて歩かざるを得ない境遇に追い込まれたことに、心と頭が拒否反応をしたのでしょう。私が退院して3日目に、坊守の母、私の義母が、待ちかねたかのように自宅の2階で倒れ入院しました。夏頃から肝臓の病状が悪化していたのでしょう。2歳と4歳の男の子、病弱の夫を持つ私の妻(一人娘)に甘えるわけにもいかず、自宅でずーっと辛抱していたと思います。辛抱強いお母さんでした。もうすでに足は象のようになっていたそうです。入院するや医師から、1週間のいのちですと宣告されました。9月23日お彼岸の日に義母は一度も意識を取り戻すことなく亡くなりました。妻の「お母ーさーん」と噛みしめるように泣き叫ぶ声が病院の部屋に何度もこだましました。

 申し訳なくも、私はお母さんのいのちを頂いて蘇りました。しかし頂いたいのちに反するような私の日々が始まりました。
 「いかなるふるまいをもすべき身なり」をあまりに深く実践する私でした、家族の悲しい日々の幕開けと、家族の私への辛抱でした。かって予想だにしなかったことの連続、人間不信、鬼気迫る私への接近を避ける友の離散、学校での子供へのいじめ、寺へ帰っての村八分、病人というにあれた生活。家族の人生までも食い尽くしてしまったようです。彼岸花の向こうから義母の鋭い眼が一瞬きらりと光るのを、見まいとするする私でした。

 糖尿病はある時期、本当に気力がなくなります。病いは気からという人もいますが、気が病むのが病気なのです。発現から6年程は、午前だけ法務、午後は家で養生と、入退院の繰り返しでした。
寝ててもしんどいのです。風邪をひいて体が生だるい様子が毎日続くと思ってください。
 4,5年前、こんな私に、友人が「教誨師やってくれんか」と誘ってくれました。教区の駐在から「ハンセン病懇談会に出てください」(今は任期を終えた)と声をかけられ、徐々に社会復帰・社会参加しているこの頃です。2年前には住職にもさせていただき、恥ずかしながら生き抜こうとしています。悔しさに枯れて、悪いまんまに生きる術も少しは得たようです。

 彼岸花の向こうからお義母さんが声をかけてくれたのかもしれません。一人では生きられないし、一人で生きているんではないと感じつつ。(住職)


はちきれて 悲願のつぼみ 天をまつ


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